2013年  NPO法人自然観察大学
テーマ別観察会
江戸東京の歴史と自然・野鳥観察
講師:唐沢孝一先生(自然観察大学学長)
2013年12月1日
場所:皇居・東御苑

2013年12月1日(日)に、本年度第2回目のテーマ別観察会「江戸東京の歴史と自然・野鳥観察」が皇居・東御苑で実施されました。
今回の観察会では、テキストとして「野鳥博士入門」(唐沢孝一 著、全国農村教育協会)を利用しました。写真をまじえながら観察会のようすを報告させていただきます。

■お濠の水鳥
皇居のお濠にはコブハクチョウがいます。風切り羽を切って移動できないようにしているので、お濠から飛び出ることはありません。彼らの縄張りはとても強く、一つのお濠に複数の雄を入れると片方が死ぬまで闘ってしまうので、1つのお濠には1家族しかいません。
大手門をバックに解説する唐沢先生
ここではカワウやキンクロハジロといった水鳥も観察できます。これらの水鳥は足にある水かきで泳ぎます。カワウやカモの水かきは蹼膜があるので、蹼足(ぼくそく)と言います。対してオオバンの足には、木の葉のような(弁膜)があり、これを弁足と言います。今回は、たまたま事故死したオオバンの足の標本を持ってきているので、実際に手にして観察してみてください(写真)
泳ぐときはどちらも膜を広げて水をかくのですが、かいた足を戻す時、蹼足では水かきを閉じた状態で水の抵抗を減らして戻します。一方、弁足では、水かきを広げた状態で足を折りたたんだ状態で前に戻します。
弁足のようす(オオバンの足の標本)
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■江戸城と大手門
大手門の入口にある門は高麗門といい華奢に出来ています。敵兵は容易に高麗門を突破できますが、折れ曲がったところにある頑丈な渡り櫓で行く手を遮られ、攻略することができず、二つの門の間の袋小路で混乱するところを周囲から攻撃されます。大手門に展示されてる鯱は、明暦3年の大火事で焼けた時に造られたもので、東京大空襲の時に被災したものです。
江戸城大手門の高麗門
■江戸城と石垣
本丸中之門の石垣は花崗岩や安山岩でできています。
これらは伊豆半島などから筏で運搬されてきました。運ぶ際、少しでも運びやすくなるよう石材は水に沈められ、浮力を活用しながら運ばれました。
打ち込みはぎ
切り込みはぎ
石垣の積み方にも歴史があり、いくつかの種類があります。自然石をそのまま利用した「野面(のづら)積み」、石の産地で割って加工したものを積んだ「打ち込みはぎ」、加工した石をすき間なく積んだ「切り込みはぎ」などがあります。「切り込みはぎ」は美観にすぐれ、堅牢でより高く積むことができます。
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■二の丸雑木林
旧二の丸の雑木林は、昭和天皇のご発意により、人工的に造成されたものです。開発されようとしていた多摩の雑木林をそっくりそのまま移植したものです。樹木だけでなく土や土壌生物なども丸ごと移植したため、武蔵野の雑木林が見事に復元されています。
また、この雑木林では定期的に樹木を伐採するなどの管理をしており、薪炭として利用されていた当時のままの状態が保たれています。こうすることで林が更新され、林床に日光が届きやすくなり多様な生物相が守られています。
美しく紅葉した二の丸雑木林
■果実と野鳥
二の丸雑木林のなかでは、多くの種類の野鳥を観察することができます。
(目の前の樹上に緑の小鳥が登場)
さっそくメジロが登場してくれました。1週間前の下見の際には、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、コゲラなどの混群が観察できました。異なる種類の鳥が一つの群れをつくることにより、より敏感に危険を察知できるメリットがあると考えられています。
また、好んで食べる果実も、種類によって異なります。たとえば体の小さなメジロやシジュウカラではムラサキシキブのような小さな実を食べます。鳥のサイズに応じて、食べる木の実のサイズが異る傾向もみられます。
メジロが好むムラサキシキブの果実
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■汐見坂
(二の丸から本丸へ入る前の急な坂道を上りながら)
この急な坂は汐見坂といいます。現在では高層ビルしか見えませんが、その名の通り昔はここから海が見えていました。
江戸城を築城した太田道灌は
我庵は松原つづき海近く
富士の高嶺を軒端にぞ見る
という歌を詠んでいますが、かつては江戸城のすぐ足元まで入り江が伸びていたのです。そこでは海苔の栽培がおこなわれ、海苔ひびがたくさん立てられていたため「日比谷の入り江」と呼ばれました。他に、八重洲口(東京駅)など、海に関連する地名が遺されています。
汐見坂から二の丸雑木林越しに見る高層ビル
■旧本丸からの景観
江戸時代、浅草寺の鐘が江戸の市民にとっての時報でした。当時は不定時法だったので、明け六つ(日出約30分前)と暮六つ(日没後約30分)の間を、昼夜それぞれ6等分し、鐘を鳴らしていました。
明治になると、正午だけは大砲の音で知らせるようになりました。明治4年から昭和4年までの58年間にわたり、この旧本丸で空砲をうち、東京の人々に正午を知らせました。
江戸城には天守閣がありましたが、明暦の大火で焼失した後は再建されることはなく、石垣だけが残っていました。明治政府はここに中央気象台をつくり、また三等三角点を設置して江戸の気象・土地計測の基準としました。
旧本丸の天守台跡
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■ヤドリギと連雀
(御苑の出口のひとつ、北詰橋門の外で)
北桔橋(きたはねばし)付近にはエノキの大木があり、ヤドリギがたくさん寄生しています。ヤドリギは冬、葉が落ちていく大木の枝先に青々とした葉を茂らせるため、キリスト教徒たちにとっては「復活の木」として大切にされました。
このヤドリギは、種子が樹木の幹や枝に付着することで寄生をするのですが、それを助けているのがレンジャクです。レンジャクはヤドリギの果実が大好物なのですが、その果肉はとても粘着質なので、糞とともに排泄された種子が糸状にぶら下がって木に付着して発芽します。
都内でこれほど立派なヤドリギを観察できるポイントは数カ所しかありません。同時に、レンジャクが観察できるポイントとしても注目されています。
エノキに寄生するヤドリギ
ヤドリギの果実を好んで食べるレンジャク科(「野鳥博士入門」より)
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※参加いただいたみなさん、そして講師の唐沢先生、どうもありがとうございました。
 話題がたくさんありすぎて終了時間が遅れてしまいました。申し訳ありませんでした。
レポーター:自然観察大学事務局 脇本

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2013年度 野外観察会
第1回の報告

第2回の報告

第3回の報告
テーマ別観察会:街なかの雑草を観察する